慰安婦像が増えるごとに落ちる日本のプレゼンス

2014.08.06

8月6日は広島に原爆が投下されて69年の日でした。あの惨禍を私たちは忘れてはいけないし、私がそもそも政治を志したきっかけの一つとなった国際平和と紛争解決への思いを新たにします。

静岡8区のげんまけんたろうです。


日本は国際社会からどう思われているか


さて、またアメリカでいわゆる従軍慰安婦の記念碑が建てられたとのニュースがありました。

ニュースの画面では、韓国人の女性が涙を浮かべ、アメリカ人の女性がそれに同情して涙を浮かべている様子が映されていました。

慰安婦を題材にした演劇も行われたようです。
それをみたという初老のアメリカ人夫婦がインタビューに答えていましたが、「こんなに悲劇的なことがあったなんて知らなかった」とコメントしていました。

言うまでもなくこういうことって、それが積み重なればだんたんと事実になっていってしまいます。
韓国人女性から話を聞き涙した女性や、演劇ではじめて日本が強制的に慰安婦を連行したと植え付けられてしまった夫婦は、日本はそういう野蛮な国なんだと思うでしょう。
それがどんどん広まればどうなるか。
考えただけでも恐ろしくないでしょうか。

まったくいつまでこんなことをされるのかと本当に腹立たしく、また日本の外交の未熟さが歯がゆくて仕方がありません。

言い返さない日本外交


日本社会では、言われのないことを言われても黙っていても正しいのはどちらかわかってくれるはず、という文化があります。
特にそれが荒唐無稽だったりしたら、むしろ反論する方がみっともなく、「くだらないことに付き合うと同レベルになるからやめときな」ということになります。

確かにこれは日本国内でならいいですが、国際社会における日本の振る舞いも、日本人自らこの美徳を基準に評価する声が強いのが、日本のプレゼンスを低下させてきたといっても過言ではありません。

外務省始め、政府間での外交はもっと強かな戦略も考えてきたはずですが、それを後押しするべき世論がこうした美徳に基づいてしまっていては、国益ひしめく外交の場ではどうしても弱くならざるを得ません。

慰安婦の問題はその最たるもののひとつです。

いくら慰安婦像というものをつくられても、まー放っておけと考えてきたらどんどん作られて、挙げ句の果てにアメリカ人の心を一部つかみ涙させ、既成事実化されていく。

橋下徹代表が、従軍慰安をについて発言したときも、「タイミングが悪すぎる」とか「余計なことを言った」などと国内からひどく批判されましたが、バカバカしく思えても違うものは違うと主張していかなくてはいけないんです。
それが国際社会だということを、少しナイーブに国際社会と接してきた日本人はそろそろ認識をしなくてはいけません。

国内で足を引っ張ってきた責任


そんな折、今度は朝日新聞が、同紙が掲載し慰安婦問題を作り出した元となった記事を検証し、虚偽の証言に基づいたと認めたのです。

朝日新聞が過去に何度も取り上げた自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の「慰安婦を強制連行した」との証言について虚偽だったから、記事を取り消すと。

いやいや、ちょっと待ってよ。
取り消しで済む話なんですか??

散々「説明責任をはたせ」「謝罪を行え」と、他者を厳しく攻撃してきた同紙が、まさか記事取り消しでうやむやにするつもりなのでしょうか?

国際世論だって日本のマスコミも認めたのだからあったのだと認識されており、河野談話と同様の、いやそれ以上の大変な失敗です。

これは日本人は断固うやむやにしてはなりません。

パプリックディプロマシーを強化する


先のアメリカ国内における慰安婦増の設置も、演劇の上演も、韓国の民間団体が推進したものです。

韓国の人たちは、外交は政府任せにせず、自分たちで国益のために様々なアクションを起こします。

中身には一切賛同しませんが、こうしたパブリックディプロマシー、それも民間発の広報戦略は、我が国の相当上をいっていると言わざるを得ません。

我が国も、言われるまま、されるがままの外交から脱却して、我が国の主張は恐れずに正々堂々と所長していってはじめて尊敬もされ、”名誉ある地位”を占めることにつながります。

広島に原子爆弾が投下され、たくさんの尊い命を失ってから69年の節目に、もう戦争は繰り返さない、そのために日本固有の美徳や理想に落ちいることなく、国際社会という現実でどう振る舞うべきかを、改めて考えた一日でした。

まずは慰安婦像の撤去を求めましょう。
朝日新聞の記事は虚偽の証言だったことを発信しましょう。
声をあげましょう。
我が国と、世界の平和のために。