大使館表敬訪問

2006.07.23

カンボジア初日の7月17日(月)は、在カンボジア日本国大使館に表敬訪問。
当地で援助関係を取り仕切る経協(経済協力)班の班長を務める村田参事官とお話をさせていただいた。
非常に柔軟なものの考え方をされている方で、わが国の援助のあり方についていろいろお話を伺ったが、大変参考になるお話ばかりだった。
今回の研修で改めて感じたのは、やはり援助は難しいということだ。
自国の税金を他国のために使うというその性質ゆえ、何のための援助政策なのかをしっかりと認識しておく必要がある。
基本的には、ばら撒きだけは厳禁である。
ODAに限らず意味のないもの、無駄使いは徹底してなくしていくことが必要だ。
そんな中、国内で厳しい財政状況を抱える中、他国のために国家予算を使う必要はないという批判もあるが、それが無駄なものであるならばわかる。
しかし、本当にODAは不必要なもの、無駄なものだろうか。
私はそうは思わない。
日本は否が応でも相互依存でしか生きられないのである。
ODAは個である日本が公である世界とかかわっていく、ひとつのかかわり方であるといえるのだ。
村田参事官のお話の中で、ODAには「相互依存税」「国際税」のような側面もある、というお話があった。
国家が存続していくために、必要なものなのだと。
表現はともかく、まったくそのとおりだと思う。
【長くなるので以下は興味のある方だけどうぞ】
<写真はJSACオフィスにてカンボジアの平和構築についてスタッフと内務省役人と語るの図>
 JSAC


日本のODAの始まりは、戦後賠償という側面があった。
そして、高度経済成長に伴い、その思想は利益還元論に発展していった。
日本だけが潤うのは申し訳ないから世界に配ろう、というものだ。
しかし、本来あるべきODAの考え方は、そうあるべきものではない。
原則的には日本の価値観である忠恕の心があるはずであり、そして他国とのつながりを通して地域や世界の政治的・経済的・安全保障的安定が図られ、それはとりもなおさずわが国の利益となる。
加えて財政問題との辛味でいえば、膨らむ財政赤字の中、ODAによる効果をすべて失ってまでODAをすべて中止したとしても8千億円ほどの規模である。
財政再建にはもっと抜本的な構造改革が必要なのであり、あまり利権の絡まないODAを削減するというのは理論的にも破堤している。
ODAは難しい。
二国間供与だけでなく、これが多国間援助の話になると、また違ってくる。
常に本質を見つめながら長期的ビジョンにたって考えていかなくてはならない。
今回の研修の中でも、何人かの人に、「政治家の中になかなか長期的視点でODAを考えられる人はいない」というお話を伺った。
そういう意味での期待もたくさんいただいた。
そして、ODAを現在統括している外務省内でも、ODAのプロではない省員が経協局などへ配属されるため国家の戦略問題として考えられる人が少ないそうだ。
結果的に、トレンド(たとえば地雷が流行った時期があったし、環境が流行ったこともある)を意識した援助になりやすく、また国民が無駄だといえば自分の腹が痛まないため、削減しやすいものとなってしまう。
ODAも外交の一部である限り、政治主導でビジョンを確立していかなくては。
私のODAを切り口とした他国とのかかわり方は、政治テーマのひとつである。