同志性について

2006.04.17

政経塾のひとつの意義は、そこに集う同志とのつながりにある。
それは、対外的に排他的なものではなく、同時に塾にいる人間だけを同志と呼ぶべきものでもない。
最近塾では、同期の同志性を強調する向きが強い。「同期なんだから」とか「同期だけで」とかいう言葉がまかり通る。
そして、同期であれば上辺の当たり障りのない付き合い方をも、「仲がよい」と肯定する傾向がある。
もちろん同期というのは縁であり、そこに同志性を求めるのは意味のあることである。しかし、それは同期とのみに求めるものではなく、上下にわたり世代を超えて理念や想いでつながるべきものであるはずだ。
特に上下間でのつながりというのは切磋琢磨にはより大切なことであり、そしてそうした年齢や入塾の時期にこだわらず、信念や志を互いに理解し腹を割れるつながりこそが同志と呼ぶべきものである。
幕末の私塾の松下村塾でも、きっとこの世代を超えた想いのつながりが重要だったと思う。
そういう意味で、幸いなことに私はこれまで同志と呼べる先輩たちと知り合うことができ、大きな財産となっている。
後輩である新入塾生たちともそういう付き合い方をしていきたい。
そして私自身もそれに足るよう、さらに研鑽に励んでいきたい。