住民投票について

2012.09.02

浜岡再稼働の是非を決める住民投票にむけて、意見を求められることが多いです。

私は基本的には、県民の意見を聞くということは大切なことだと考えていますし耳を傾けるべきだと考えます。
そして同時にいくつか深い議論が必要なこともあると考えています。
こうした大きな決定は責任を伴わなくてはいけませんが住民投票で決めてしまってこれをどう担保するのか、そもそも法的拘束力をもたないことと是非を決めてしまうということの整合性をどう取るか、さらには今果たして合理的判断をするだけの材料があるのかどうか、など。

そもそも知事も浜岡は安全性が確保されない限り再稼働しないと言っているのだから、中電が安全対策が完了したとした時点で、住民投票を行うというのはどうかと思ったり、「是非を決める」では責任の所在を県民投票に押し付けることになりかねないので、○か×かではなく県民の意見を表明してもらうものにできないか、などとあらゆる可能性を考え議論しています。

条例案に散見される不備は本来きちっとしておいてもらいたかったですがこれは県議会が賛成するとなれば修正すればよいことなので、むしろ議論の争点にはなりません。

いずれにしても、これからさらに専門家の話も聞き、提案者の皆さんとも意見をどんどん交換し、最終的には議会で議論し決着していかなくてはいけません。

大切なことは、16万を超える県民の声を重く受け止め、また静岡県のみならず日本の今後を真剣に考えていくべき課題であって、我々県議会には重い責任があることを自覚しなくてはいけません。

そして私は、会派で党議拘束をかけて決めるのではなくて、私はそれぞれの政治家が自らの責任で投票すべきだと考えています。
党議拘束なんかかけたら、言い訳にしか使われないと思います。
「本当はこうだったんだけど、党がこうしろって決めちゃって…」なんてことにならないように、政治家は一人一党の覚悟で望むべきなんではないかと考えています。





— Gemma Kentaro from iPad