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2006年01月 バックナンバー

2006年01月08日

ル・クロ・モンマルトル

昨日は中学時代の友達と久しぶりに呑んだ。

中学卒業して一人で東京に出たから、もう何年もあってない、久しぶりな面子だった。その中の一人以外は、もしかしたら酒を呑んだのも初めてかもしれないくらい。
なんせ中学卒業以来だから。

でも昔と変わらずいろんな話をして、かなり楽しかった。
街で偶然見かけてもわかんないんじゃないかと思ってたけど、やっぱりわかるな。
きっと俺もだけど、みんな変わってないよ。


変わらない、ということは、俺は褒め言葉だと思ってる。

成長しないという意味はまったくない。
ブレてない、ということだから。


 
ところで、昨日行った店はル・クロ・モンマルトルというフレンチの店。

 

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2006年01月09日

「どういたしまして」の心

中国に行ったとき感じたことのひとつに、ある中国語のフレーズの美しさがあった。

中国語には実に美しい表現があるんだなぁと感動した。
どうということのない言葉だけど、「不謝(ブーシー)」とか「不客気(ブーカーチー)」といって、「どういたしまして」という意味の言葉。
謝々(ありがとう)、というと、どんなに小さなことでも必ずブーシーとかブーカーチーと返ってくる。

これが本当に気持ちがいい。

響きがいいということもあるかもしれないけど、やはり意味もいい。
何かをして、人から感謝されたとき、「気にしないでください」「どういたしまして」とは、なんて気持ちがいい言葉なんだろう。


言わずもがなだが、日本にも「どういたしまして」という言葉がある。
でも、文章では見ることもあるけど、実際にはあまり聞かない。
少なくとも、俺は何年この美しい言葉を使ってないんだろう。


これからは、「どういたしまして」という言葉をなるべく使うようにしたい。
みんなも使っていこう。

2006年01月14日

想いと志

今週火曜から始まった松下政経塾冬季合宿、昨日やっと終わった・・・
正確に言えば、恒例の雀の会(麻雀)が終わって終了だから、今朝の4時半だけど。

なかなかのハードスケジュールだった。
そのなかでも、今回の合宿では我々1年生が始めて先輩たちを前にして、それぞれの志と問題意識をプレゼンしたんだが、自分の想いを伝える難しさを改めて知った。
そしてなにより、その想いと、実際に在塾期間中にできることの限界、自分の進路との関係、それらをどう関連付けて、そして自分の腹に落とし込んでいくかが難しいと痛感した。

今はまだ、それらをしっかり関連付けられていないということがよくわかった。

ただ、想いと志はしっかりと腹にある。

これを軸にしっかりと据え、自分はその思いを実現するために今何をすべきか、在塾期間中に何をすべきか、卒塾後はどうすべきか、どこを活動の拠点にすべきか、そういうことを悶々と悩みながら志を太くしていこうと思う。

松下幸之助に与えられたこの時間と環境は、きっとそうやって悩むための機会だと思う。

 

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2006年01月23日

二〇三高地を訪れて

17aebd69.JPG昨年11月中旬からの、およそ3週間にわたる中国製造実習が終わった後、東北地方へのスタディーツアーを行った。
北京から極寒のハルピンに飛び、瀋陽、長春と回って大連・旅順に行った。

特に二〇三高地は、日露戦争で日本陸軍が激戦の末勝利を収め、その後の海軍戦勝利に大きく貢献した重要な場所である。
あの、司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」にも登場する要所である。

この二〇三高地のすぐ目と鼻の先には旅順港があり、ロシア艦隊はこの旅順港の中に停泊していた。
この二〇三高地を落とし、背後から旅順港を攻撃して停泊中のロシア艦隊を殲滅させるべく、激戦を行ったのだ。


訪れた日はすでに12月で、あたりは一面雪だった。
坂の上からは雲どころか旅順港すらよく見えず、少し残念だったが、それでも自分の足でこの二〇三高地に立ち、旅順港(の方向)を見られたのは得がたい経験だった。
児玉源太郎はここから何を見たんだろうか。
100年前のあの時も、このくらいの季節だったはずだ。
やはり雪景色だったのだろうか、などと、少し感傷的になったりした。

2006年01月31日

茶の道

裏千家の宗家で研修させていただく日がいよいよ近づいてきた。
こんな素人の我々が宗家で業躰先生じきじきに稽古をつけていただくなんて、本来はありえないことである。
今週末からの、その宗家研修に向け、最近は茶道の時間が多い。
おかげで一応のお手前ができるくらいには、徐々に体も慣れてきた。

茶道

茶道とは、言うまでもないが「お茶の道」である。
せっかくこの道に足を踏み入れるきっかけがあったのだから、できるだけ続けていきたいと思う。
そして、この「お茶の道」が何であるか、悟りまではいかずとも自分なりに深めていきたい。

剣の道、書の道、然りである。