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秋田4歳児殺害事件

秋田で起こった痛ましい事件の犯人が捕まった。

またしても実の母親・・・

多くは書かないが、なんか日本はおかしくなってしまっていないだろうか。

親が子を殺したり、子が親を殺したりすることは、どう考えてもあってはならないことのはずだ。
それがなぜこうも頻発してしまうのか。

おそらくその背景には、いろいろな問題があるだろう。
母親が働きに出るようになり子供が家族と過ごす時間が少なくなったこともそうだろうし、ネットやメディアによる子供に対する望ましくない外的影響もあるだろう。

しかし、一番の根本は、われわれ日本人の意識の中から、「公」の意識が欠けてきてしまっているからではないだろうか。
言い換えれば「共同体」の意識。

国や地域に対する意識もそうだが、もっと身近にブレイクダウンすれば、それは家族への共同体の意識である。
そんな、大切なものを今の日本人は考えることがなくなってきたのではないだろうか。


戦後、憧れのアメリカを闇雲に追いかけてきた日本。
ゆがんだ解釈のままの「個人主義」や「自由」がかっこいいと、思わされてきたところがあると思う。
「絆」や「伝統」などというとダサいという風潮が確かにあった。


ここら辺で日本は改めて進むべき道を考えるべきである。

もう、誰かが決めてくれたルール(憲法も然り)に則って、触れたくないものには蓋をしてやり過ごし、何か起きたら場当たり的に対処していく今までのやり方ではだめなのだ。

日本という国家として何を大切にし、どういう国にしていくのかをちゃんと考えていかなくてはならないと思う。


みなさんはどう思いますか?
自殺の連鎖や、親子間の殺人は、どうしたら防いでいけると思いますか?
日本人はこのまま、自分たちで自分たちの国のあり方を考えるんじゃなくて、誰かに任せて適当にやっていけばいいと思いますか?

コメント (13)

こうた:

自殺の連鎖や、親子間の殺人を解決する鍵はやはり家族のあり方のだと思います。

自分の中で一番の家族のつながりは恥ずかしながら食事です。小学校の時にお袋が作ってくれる弁当が楽しみでしょうがありませんでした。また、誰よりも早く起きていろいろ工夫をしながら弁当を作ってくれる母親の姿は大きく感動すると言うより少しずつ心にしみこみお袋が悲しむ事はしたくないと教えられたわけではありませんが自然と思うことが出来ました。言葉ではないコミュニケーション えづけに近いと思います。やはり最近便利になりすぎてしまい親から食事を与えられなくてもコンビニなどで食事を済ますことが出来ることも家族のつながりなどを希薄にしてしまっている要因の一つだと思います。

あっこ:

TVで連日大人が子供の自殺について話し合ってるのをみてはどれも的外れだなと感じる。学校や家庭でこんな対策をしたらどうか、とか、マニュアル化できるもんじゃない。子供にもそれぞれの立場や環境があるんだし。国家でできる対策・・あるのかな、そんなの。いじめとか自殺とかする子って自分の存在を確認したいんじゃないかな。社会の中で自分がどんな意味があって生きて行っているのか。そうなるとやっぱり産まれて一番最初に接することになる親がその子に存在価値をわからせてあげることしかない。結局は家庭の問題になるんだろう。大体学校がいじめを隠蔽したとかって怒ってる親がいたけど、その間気がつかなかったお前らはどうなのよ!って思ったもん。こうやって書いてみて思ったけど自分の意見を旨く表現するのって難しいな。っていうか、この問題に関して明確な答えが本気で思い浮かばない。。

gemma:

こうた、
コメントありがとう。
家族とのつながりが薄くなってきている、というのはほんとそのとおりだと思う。
なんか俺らの世代はまだそういう意識をどこかで持っていた気がするけど、今は他人から見ても希薄になっているもんな。

gemma:

あっこ、
コメントありがとう。
あっこの言ってることはよくわかるよ。
確かに国や学校がルールを決めれば解決するっていう話ではないと思う。
それこそ子供の中には子供の社会があるからね。
でも、その子供の社会のあり方も、これまでとは変わってきてるんじゃないかと思う。
そういうのは、今の日本全体の社会の空気を反映してると思うから、日本の社会、公というものを見直していかないといけない時期にあるんじゃないだろうか。

masahiro:

ちょっとそれてしまうが、今日知人と話をしていたら、小学生の娘さんが学校でイジメを受けていたという話になった。学校が気づかずに家庭で娘が切り出したらしい。
でも、娘からいじめについて切り出せたというのは、親がちゃんと子供を見ていて、相談するインフラができていた比較的幸運な例なのかもしれない。
その後、その人が授業参観に行ったところ、高学年になればなるほど、授業参観にもかかわらず子供が教室内をフラついているそうだ。
公の場でどう振舞うべきかというのは、家庭での躾の基本だと思うけどな。
そんな躾ができない親が増えているのも、そのまた親の世代に問題があるんだろうか?それとも家庭外的要因なんだろうか。
絆については基本的に同意見だが、24時間テレビなどのお仕着せがましいメディアのせいでシラけてしまっているという世相もあると思う。
あんなの無くても昔の日本にきちんと絆はあったはずだ。

masahiro:

間違えた。
お仕着せがましい→押し付けがましい
でした

■その1
また、儒教における五常(仁・義・礼・智・信)など元々日本人の魂にしみ込んでいたモノがこの数十年でぶち壊されたのでしょう。

いわゆる米国主導の論理主義や個人主義、実力主義に憧れちゃった代償でしょう。

理屈が正しく感じることになびいて
しまうのは仕方ないですが、もうちょっと日本特有の道理に自信を持っていくべきだと感じています。

■その2
小難しく書いてますが、例えば自分の子供(4歳)が「なんで人をぶっちゃいけないの?」というシーンがありました。

論理的な親の話
「相手は痛いんだよ?自分が叩かれたらイヤでしょう?だから人が嫌がることはしてはいけませんよ。」
”AならばBであり、その場合はCである”という形式。
これもいいんだけど、2〜4歳の子供には。。。

「人をぶつなんて最低の人間だ。ダメなものはダメだ」
という昭和のお父ちゃん形式も実は大切だと思ってます。
だって、理屈で喋ると長くなって子供のメモリーには残らないんですよ。
(実証済み)

■その3

まぁこの程度の質問なら論理回答でもいいけど
「何で人を殺しちゃいけないの?何で自殺しちゃいけないの?」
なんてシビアな質問を小中学生がしてきたら、クドクド色々な答えがでてくると思うけど、「ダメなものはダメなんです。」というのは立派な理屈です。

あ、話がそれてるか?
いじめに関して言えば「大勢で一人に当たるのは卑怯者である」といい続けるのが一つの策だと思います。
卑怯者=恥
なんです。
「恥を知れ!」なんて言葉言われたことないでしょうね。今のチビッコは。

う〜ん長いし、なんだかまとまってないけど
個人的見解でした。

■その1
公(こう、おおやけ)
志(こころざし)
恥(はじ)
絆(きずな)

また、儒教における五常(仁・義・礼・智・信)など元々日本人の魂にしみ込んでいたモノがこの数十年でぶち壊されたのでしょう。

いわゆる米国主導の論理主義や個人主義、実力主義に憧れちゃった代償でしょう。

理屈が正しく感じることになびいて
しまうのは仕方ないですが、もうちょっと日本特有の道理に自信を持っていくべきだと感じています。

ながい上に その1が2回登録されちゃった。GEMMAスマン。

gemma:

masahiro、
コメントありがとう。
絆というのは、作ろうとして作るものじゃないけど、作りたくないと思うと放っておいたら一切できないものだよな。
24時間テレビはみてないから何を訴えてるのかわからんけど、自分は一人で生きてるわけじゃないという、人との関わりの意識が希薄になっちゃってる気がする。

gemma:

ITOMAN、
コメントありがとう。
ほんと、そのとおりだと思う。日本は戦後産業でも教育でも「規格大量生産」をしてきて確かに経済発展したけど、失ってしまったものも多かったと思う。
論理的思考が正しいと思い込んでしまっているのもその一つだろうし。
俺も儒教や東洋思想から学ぶべきところが多いと思ってる。「ダメなものはダメ」という会津武士道もね。
こんごもコメントよろしく。

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