道州制

2007.11.27


先週の木曜日、PHPシンポジウム「道州制が活力ある日本を作る」に参加してきました。
道州制は今、いろいろなところで語られていますが、決まった定義がありません。
道州割りについても9から13道州などさまざまだし、財源や権限の移譲の仕方にも違いがあるなど国家と道州の関係もさまざま。
単なる県の合併や再編成のような性格のものがあったり、アメリカの連邦制などに近いものもあるわけです。
PHPの江口克彦社長が座長を務める内閣官房道州制ビジョン懇談会では、「地域主権型道州制」を提唱している。
この「地域主権型」というのがキモで、簡単に言えば道州という擬似国家がそれぞれ地方政府としての機能を果たし、国家はより大きなイシュー、すなわち外交・安全保障、危機管理などの安全の提供、年金や医療保険などの国民基盤サービス、金融システムの管理などを担う、というもの。
細かい役割分担はもちろん議論を進めていけばいいことですが、ビジョンとして地方政府を作る、という方向であることが、「地方分権型」との大きな違いです。
つまり、中央から地方に限をけ与える、という発想ではなく、それぞれの地域が主体性を持って政治を行っていく、という発想です。
パネリストには江口社長のほか、堺屋太一氏や麻生渡福岡県知事、黒川和美ジョージメイスン大学研究員が参加していました。
議論として特に目新しいことが発表されたわけではありませんでしたが、印象に残ったパネリストの発言がいくつかありました。
まずは堺屋氏の
「『日本は中央集権でもうまく言っていたではないか』という道州制への反対意見は単なる幻想である」
という発言。
確かにそうですよね。
今までうまく機能してきたのは、日本だけでなく界全体が規格大量生産の時代で、この流れにあっては中央の官僚に一定の権限を集中させてどんどん同じものを効率よく大量に生産できる可能性があったわけです。
しかし世の中は移り変わり、現在は特徴のあるものが求められる時代。
中央集権型で物事を進めていくには無理が生じます。
自由主義を推し進めれば必然的にものも人も東京に集まる、というのも実は間違った認識だと思います。
上記のような時代背景の中、一極集中が効率的なため、意図的にそういう制度にしてきたわけです。
何をするにも東京でないと不利な状況が作られてきたという側面があります。
たとえば、これも堺屋氏が例に挙げていましたが、銀行協会の会長は東京にある銀行の社長しか就任できないためどの銀行も東京に店舗を出そうとする、国民はやっぱり東京は銀行も多く便利だな、やっぱり東京に集中するんだなと思う、などなど。
意図的に一極集中を進めてきた分、これから本当に地方主権を目指すなら意図的にそうした体制を見直す必要があるのです。
そして麻生知事の
「改革には何よりビジョンが大切で、細部にこだわり細部から議論すると改革をつぶれてしまう」
という発言。
これももっともだなと思いました。
道州制の議論も、国家と道州の役割や道州割りなどの細かいところから議論をすれば意見が集約できるはずもなく、改革は行われないでしょう。
まずはどういう国家の姿を目指すのかを議論する。
こうした大局観が必要です。
政治家としても大切なことだなと思います。
政治家の中には、予算のここの数字がどうしたとか細かいところをつつくことが得意な人もいます。
そういうことが不必要だとは言いません。
しかし、何のための議論なのかもしっかりと認識した上でないと、ただの揚げ足取りだったり、批判屋になってしまいます。
政治家は批判屋でもないし評論家でもないのですから。
今日はこれからまた東京です。
先週からひいていた風邪もようやく治りました。
 
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