体罰はなんのためだったか

2013.01.12

大阪の高校2年生が、部活の顧問からの体罰を苦に自殺した事件が各方面で話題になっています。
私も小学生からずっとバスケ部でしたのでいろいろと想像をしてみるのですが、どう想像しても、ミスをして叩かれるというのが想像できません。
叩くとミスがなくなるのだろうか?
うまくなるんだろうか?
うまくなりたいというモチベーションと叩かれたくないという気持ちは一致するんだろうか?
指導方法として本当に理解ができません。
確かに私が子供の時代は、体罰、というより、叩かれたりすることはありました。
私たち子供が弱いものいじめをしたり、ずるいことをしたり、嘘をついたりと、そういう時だった覚えがあります。
こうした愛の鞭を、私は否定しません。
たくさん教えてもらいましたから。
しかし、叩いてバスケの技術をあげるのは、殴って学力をあげたりするのと同様、無理なんじゃないかと考えます。
今回の問題は体罰がいいか悪いかではないんです。
そのもっと手前の、その体罰は一体なんのためだったのか、そもそも正当化できるものではないという気がしてなりません。
亡くなった少年のご冥福をお祈りいたします。
— Gemma Kentaro from iPhone —