「最終戦争論」

2006.08.30

松下政経塾のレポート作成のため、石原莞爾の「最終戦争論」を読んだ。
戦中の中国大陸侵略の頭目であると同時に、アメリカとの戦闘や満州国建国に反対した石原だが、その根拠となった思想は、特異なものだったと改めて感じさせる。
法華経に影響されたその思想は、超簡単に言えば最終戦争というべきものがいずれ東亜対米州の間でおき、その結果世界は平和になるというもの。
その予想や分析にはもちろん結果的には現実にならなかったことのほうが多かった。
今読めばちゃんちゃらおかしな未来予想とも言えるものも多いし、石原の思想がすばらしいとも思わない。
むしろ突拍子もない考えである。
しかし再考すべきはその予測や思想の正否ではなく、大東亜の思想に隠されてしまった平和を希求する心じゃなかったか。
そういう思想の存在を、後の日本人であるわれわれは知っているだろうか。
当時の日本人は他国に侵略し世界を征服することを目指していたと、通り一遍等に教えられてこなかっただろうか。
その背後にはいろいろな思想があり、複雑に入り乱れている。
「亜細亜」をめぐる行動には「侵略」という客観的事象があったと同時に、「連帯」や「平和」という理想もあったと私は考える。
石原も拠っている「八紘一宇」の思想も、本来は道義に基づく世界の平和的統一を表す日本書紀のなかから出てきたものなのに、いつの間にか日本の世界征服のスローガンみたいにして一人歩きしてしまっている。
・・・六合を兼ねて以て都を開き八紘をおおうて宇(いえ)を為さん・・・
神武天皇の建国の詔勅の中の言葉だそうだ。
まったくもって征服の思想ではない。
こういうところをみても、教育の問題は日本の重点課題だといえる。