ふと思うこと (のわりに長いです)

2008.08.05

葉月になりました。
オリンピックや夏休みも近づき、いよいよ夏本番という雰囲気です。
思い返してみると、去年の今頃は議員になって数ヶ月という時期で、初めての議会が終わり
バタバタとしながらあっという間に夏を消化していた感じです。
夏の記憶があまりありません。
今年は少しリズムにも県議の仕事にも慣れてきて、夏の暑さを実感する幅が出来たような気
がしています。
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さて、最近感じていることを書いておきたいと思います。
 
エコ が全盛です。
 
テレビを見ても、雑誌を見ても、新聞を見ても、書店の新刊コーナーを見ても、エコや環境が
目に入らない日はありません。
 
我々がこの地球上で生きていくうえで、自然を守り大切にする、環境を保全にしていくことは
言うまでもなく重要なことです。
斯く言う私もMY箸を使用していますが、わずかでも環境に貢献し、この問題を多くの
人に知ってもらいたいと思っています。
しかし、今のブームは少しいきすぎなんじゃないかと思うこともあります。
 
短期的な視点で見ると確かに地球の温度は上がっているけれど、これまでの地球の長い歴史を
みればこうした気温の上昇というのは何度となくあるというのは周知の事実です。
そして、この温暖化(この単語も本当に真実を伝えているのか若干疑問ですが)の原因はCO2で
あると、何の疑問も持たずに信じさせられているような気がしますが、これにも疑問を呈する
専門家もいることを、もっと我々は知っておく必要があります。
 
 
我々日本人はワーッと盛り上がって、マスコミなどに流されると思考停止する傾向があると
感じます。
30数年前、このまま行くと石油がなくなると実しやかに喧伝し、トイレットペーパーを
買いあさったのも、今では遠い過去になってしまったのでしょうか?
それと今の「二酸化炭素こそが温暖化の原因で、ツバルなどはもうすぐなくなってしまう!」
という危機感を煽る情報とどこがどれだけ違うのか。
そして恐ろしいのは、「環境」や「エコ」やほかにも「格差」などの耳障りのいい言葉に
疑問を呈そうものなら、「ひどい人」みたいなレッテルを貼られてしまうということです。
だから、「環境保全」とか「格差是正」とか言われると、議論がストップしてしまう。
「ちょっと待てよ、本当にそうなのか?問題の本質はそこにあるのか?」
と、深く掘り下げて考えることが出来なくなってしまうのです。
本当に今の温暖化はCO2が問題なのか。
サミットの重要課題が「温暖化」で本当にいいのか。
インドや中国抜きで、形だけの合意はパフォーマンス以上の効果があるのか。
特に、排出権取引など、よーく考えてみる必要があると思います。
金でCO2の排出量を売買するなんて、本来的意義と外れている、意味のない政策では
ないかと私は感じます。
CO2の排出量を削減することが目的だったんではないのか?
本当に大切なことは何なのか。
その先にある、あるべき世界の姿に向け何をすべきなのか。
我々政治家は、耳障りのいいことを「政策」と勘違いして訴えることを控えなくては
いけないのではないか。
私自身「政策」をしっかり議論できる政治家でありたいと思いますが、それより重要
なのは、「理念」であり「思想」であり「哲学」という軸がしっかりしているか、こそが
大切だと確信しています。
 
 
サッチャー元首相はかつて
「私は政策はいくらでも妥協する。しかし信念は一切妥協しない」
と言ったそうです。
まさに、政治家のあるべき姿です。
 
軸のある、本当の意味での政治家であり続けたいと思います。
 
いくらいくらの予算をつけたとか、あの政策は自分が提案したとか、そんなことを
競い合う、政策パフォーマーにはなりたくありません。
 
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