新しいものは怖い

2012.05.14

街頭演説を終え、東北地方に向かっています。

今までは出張でもノートパソコンを持っていかないと安心できませんでしたが、今はタブレットがあるので非常に便利です。
そして小さなBluetoothキーボードがあれば文字入力も快適。
私のMacBookは、もっぱら県庁での仕事ようになりつつあります。

こんなことは、つい数年前まで予想もしていませんでした。
携帯もそう。パソコンもそう。

これはただ単に便利になればなんでもいいということではもちろんありません。
この情報処理の技術は、他分野でも大きな技術革新を産んでいるし、医療などにも応用されています。

もちろん、パソコンや携帯をもっと使いましょうということではなく、これは個人の好き嫌いがあり新しいものには常に抵抗もありますが、道徳や倫理観に反せず、良いものなら受け入れる度量も必要だと思います。

国家や行政も同じです。
これまでやってきたことのないことにはなんとなく抵抗を感じるし、なにか自分たちの今が脅かされるんじゃないかという気になってしまうのかもしれませんが、思い切って拓いていく必要があります。

尊皇攘夷から始まった明治維新でも、勇気と度量を持っていた一部の志士が先んじて開国の必要性を受け入れた。
得体のしれない外国なんかに国を開くのは国賊だと、受け入れられなかった尊皇攘夷派は新しいものに怯えていたんだと思います。

TPPの議論でもこうした「なにされるかわからない」という怯えにとらわれた議論が散見されます。
国家のために国を開くことは大切なこと。
日本の産業は保護政策で守るのではなく、厳しい切磋琢磨の中で強くしていかなくてはいけません。




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